伽奈泥庵のチャイ

今日は土曜出勤の振休だったので、谷九からほど近いところにある「伽奈泥庵(カナディアン)」に行ってきました。
この伽奈泥庵というお店、1966年にカナダ料理店として南森町にオープンした後、1980年に今の場所にアジアンカフェとして移ってきたようです。このお店の先代が山田泥庵という人で、あのカンテ・グランデの井上温オーナーと一緒に、当時はまだインド料理店以外ではお目にかかることのなかったチャイの入れ方をあれこれ研究していたのだとか。そしてカンテ・グランデでもチャイが定番メニューとなり、この伽奈泥庵でもチャイが定着していきます。
その後どういう経緯があったかは定かではありませんが、山田泥庵氏は大正区にチャイ工房というお店を出し、ほどなくして亡くなってしまわれます。生前の泥庵氏にお会いしたことはありませんが、きっと変わった人だったんだろうなぁー。いや、もちろん良い意味で。

大阪の老舗のチャイ屋さんというと、この伽奈泥庵とカンテ・グランデ、チャイ工房、そして最近惜しくも閉店していまった心斎橋のガネーシュといったところでしょうか。こういった店のおかげで大阪にチャイ文化が根付いていったのでしょうね。

前置きが長くなりましたが、さっそく伽奈泥庵に入ってみましょう。

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↑店の外観。伽奈泥庵のある中央区中寺町という所は、その名の通りお寺がたくさん立ち並んでいるところです。

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↑この狭い階段を下りていったところにお店があります。

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↑店の扉。初めて来たら閉まってるようにしか見えないですw。これを開けるのはちょっと勇気がいるかも。

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↑店内の様子。とにかく雑多であやしい感じw。昔のカンテ・グランデもこんな感じだったんでしょうねぇ。

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↑ライブステージ。今日はライブがあるそうで、準備中でした。この伽奈泥庵は、ライブハウスとしてのほうがある意味有名かもしれません。

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↑地下ながら、窓からは光が差し込んでいます。

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↑バナナケーキとマサラチャイのセット。口を付けてからあわてて撮ったのでちょっと減ってますw。これで650円というのはなかなか良心的な値段です。

お店に入ると、私の他にお客さんは誰もいませんでした。普通これだけのスペースに一人ぼっちだと落ち着かないものですが、ここは不思議と落ち着くんですよねぇ。ほんとに何時間でもいたくなる空間です。ケーキもチャイもおいしかったですし、もっと近いところにあったら通うのになぁ・・・。ちなみにここの営業時間は12:00-26:00だそうです。深夜までやってるチャイ屋だとは知らなかった!

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↑すぐそばの交差点。お寺とタワーマンションが共存する不思議な景観。

お店を出てからちょっと足を伸ばして口縄坂の方に向かいます。大阪って平野だと思われがちですが、実は結構高低差があったりします。特になんばから上本町にかけては上り坂になっていて、上り切ったあたりが上町大地と呼ばれるところです。
このあたりはGoogleマップで見ても、

大きな地図で見る
ほんとにお寺ばっかりで、ちょっと京都っぽい風情があります。ただラブホ街と隣り合わせなのがちょっと・・・(苦笑)。

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↑口縄坂は写真だけみると京都っぽい感じかもしれません。あんまり有名じゃありませんが、立派な観光名所だと思います。

坂を下りると、日本橋の電気街はすぐそこです。というわけでちょっと買い物して帰りました(笑)。

コメント 8

Oscar2008年12月18日 20:40

入り口の「拉」という表示が何ともナイス。

あゆゴン2008年12月19日 00:17

めっちゃいい感じのお店やん!!!
今度絶対行こうっと♪
むしろ連れて行けーーー

aPony2008年12月21日 00:13

>Oscarさん
もちろんドアの裏側は「推」でしたよ。

>あゆゴン
良い感じやろー。是非行ってみてくだされ。

[…] This post was mentioned on Twitter by 近藤史恵, 牧野修. 牧野修 said: うわあ、懐かしい。最近はぜんぜん行ってないのだけど、山田さんの奥様は今どうされているのかなあ。RT@kondofumie 公式サイトより、このブログのほうがお店の雰囲気がよくわかる。http://bit.ly/7nqRWs […]

とおりすがり2010年1月30日 16:18

このお店、昔は床が土でした。
その後、保健所からの指導で改善されました。
山田泥庵さんが大正区でチャイ工房をされるに至った経緯はよく知っています。
とある事情で山田さんが家族から離れ、なにもされていない時、
有名そば店の凡恵のご主人がうちの横で屋台をしたらどうか、
とすすめてくれ、凡恵の建物の壁に張り付くような状態でチャイ工房屋台を始めました。
それから1~2年して、現在の長屋へ。
数年で亡くなりました。
その後、山田さんの再婚相手で一緒に屋台時代から店をきりもりされていた方が
再婚されて現在に至るというところです。
山田泥庵さんは若いころにチベットだか、ネパールだか、少し忘れましたが、
山の中で仏教の修行経験があったそうです。
そして、確か、肺ガンが見つかり、もう助からないと思いこみ、
岐阜の山奥にこもっているところを救い出したのが、
再婚相手、つまり現在のチャイ工房の女将さんのようです。

aPony2010年1月30日 22:12

>とおりすがりさん
貴重なコメントありがとうございます!
そば屋の前でチャイ工房の屋台をされていたとか、断片的には聞いていたのですが、やっとすべてがつながりました。
なるほど・・・そんな経緯があったんですね。このあたりの話は、いつかちゃんとまとめてみたいと思っています。

Kyoko2018年3月4日 01:50

加奈泥庵が閉店するというニュースからこちらにたどり着きました。私は昔の土間だった時代しかしらず自分自身ニューヨークに行ってしまったので当時のユニークな大阪のお店たちが消えて行く/行ったのを聞き時の流れを感じています。扉をギィっと開けてお店に降りて行くと元オーナーの泥庵さんがナマステ〜と言って迎えてくれたことや初めて味わったTibetのバター茶やラプサンスーチョン茶や蒸し野菜にスパイスドレッシングをかけただけのシンプルな一品などなど忘れられません。
とても詳細なBlogで当時が蘇ってきました。頑張って続けてくださいね。

aPony2018年3月11日 11:17

>kyokoさん
はじめまして、うれしいコメントありがとうございます。
生前の泥庵さんにお会いされた方がこちらにもいらっしゃって、うらやましいです。
そして加奈泥庵が閉店してしまうことを今初めて知ってびっくりしました。ココア専門店のアカイトリも先月末閉店したばかりなのに、老舗の閉店が続いて悲しいです・・・。閉店する前に一度は訪問しておきたいですね。

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