2006年3月22日

    公文式のCM

    今テレビで放映されている公文式のCMでは、最後に「豊中東教室」っていう看板が出てきます。こんなところで豊中が全国に宣伝されてるよーとかいつも見てて思うのですが(笑)、他の地方だと豊中ってどこやねんって思ってる人も結構いるかもしれませんね。実際には「豊中東教室」は実在しないようなのですが、おそらく公文式創設者の公文公氏の家が東豊中にあったことから、こういう架空の教室名が付けられたのだと思います。そういえば先日お亡くなりになってしまいましたが、息子の毅氏は豊高出身のようです。私は豊高の図書館で公文氏の名前が書かれた貸出カードを見つけたことがあって、もしかしてあの公文さんかなあと驚いたことがあったのでした。

    かくいう私自身も小学生の頃は公文に通っていました。最初国・数とやっていて、その後英・数に切り替えたのですが、公文で習ってた所だけは強かったですね。その先の分野を学校で習ったときはさっぱりでしたが…。なのでまあ、公文は個人的には良いシステムだったと思います。当時は宿題さぼったりいろいろしましたけどねえ(苦笑)。