カテゴリ: 時事ネタ

    知らなかった

    新宮さま、って名前じゃなかったのね(苦笑)。

    興味ない分野の知識なんてそんなものです…。

    直前回避

    結局台風7号は大阪をそれたみたいですね。直撃するんじゃないかと思って今日は急いで帰ってきたのですが、杞憂だったようです。それにしても今日の夕焼けの綺麗だったこと!なんだか別世界にいるような気分になりました。うーん、カメラ持ってたら絶対写したんだけどなぁ。W-ZERO3のカメラではちょっと無理が…。

    地下鉄第8号線の路線愛称決まる

    地下鉄第8号線の路線愛称及び駅名が決定しました!(PDF)

    現在、井高野~今里間で建設中の地下鉄第8号線ですが、その愛称が「今里筋線」に決定したようです。まあ主に今里筋の下を走っているわけですから、妥当なところだと思います。ちょっと呼びにくいのが難点ですが…。同時に駅名も決定したようで、「井高野」「瑞光四丁目」「だいどう豊里」「太子橋今市」「清水」「新森古市」「関目成育」「蒲生四丁目」「鴫野」「緑橋」「今里」となっています。個人的には「だいどう」だけひらがなというのが気になりますが、これはこの辺の地名「大桐(だいどう)」「大道南(だいどうみなみ)」が同じ読みで2つの漢字があることから、あえてひらがなにしたのではないかと思います。でもぱっと見ではちょっと違和感がありますねぇ。「関目成育」も京阪の関目駅のすぐ近くなんだから「関目」にすればいいのに、谷町線の「関目高殿」との差別化のためか、長い名前になっています。そういえば「関目高殿」だって昔は「関目」駅でした。今から思えばこのために名前を変えたのかなあとも思います。

    さて、市内中心部を全く通らないこの今里筋線ですが、果たして需要はあるのでしょうか?個人的には、太子橋今市以北から市内中心部に出る乗客はそれなりに見込めると思うのですが、今里寄りでの旅客需要はそんなにあるのかなあ。今里筋線はもともと今里からさらに南進して湯里六丁目まで行く計画でしたが、財政難のために頓挫しかけているようです。湯里六丁目まで行けば、ここから市内中心部にでる乗客もそれなりに見込めそうではあるのですが、このまま立ち消えになってしまうかもしれません。

    ちなみに今里筋線のカラーはオレンジ色で決まりのようです。車両は長堀鶴見緑地線と同じリニアモータ駆動方式の4両編成になるのではないでしょうか。

    まさか逮捕されるとは

    あの村上世彰氏がついに逮捕されてしまいましたね。まあ罪を犯したことは事実なのでしょうが、どうにもすっきりしないものが残ります。あれだけ法律には気を遣っていた村上さんだけに、まさかこんなことで逮捕されるとは思ってもみませんでした。なんというか、はめられたなという感じですね。
    最近の報道では村上ファンドがまるで悪の組織みたいな扱いを受けていましたが、村上ファンドがやっていることは欧米あたりではごく普通のことなのに、不思議な話です。別に村上さんが好きなわけでもありませんが、ちょっと叩きすぎのような気がしますね。まあ確かに阪神の一件は誤算続きだったようで、あれでイメージを悪くしたのでしょうけども、それにしたって別に違法な事をしたわけでもなんでもないですし。
    とりあえず村上ファンドはこの一件で陰をひそめることになりそうですが、第二の村上ファンドが出てくるのはそう遠くない未来の話でしょうね。

    意外な関西ローカル

    学校に水筒持っていっていい?

    ところで、「水筒派」は西日本が多いらしい。武蔵工業大学の長岡裕先生たちが04年10月、全国の1130の小学校にアンケートしたところ、自宅から持参した水筒で水分補給していたのは、東京0%、神奈川7%、埼玉6%に対し、大阪95%、兵庫88%、京都60%。一方で、水道水の味やにおいに不満があるという答えは両地域とも40~60%で、差はなかった。

    私も小学生の頃は、夏になると毎日水筒に冷たいお茶を入れて持って行ったものですが、学校に水筒を持っていく小学生の割合というのは完全に西高東低のようです。関東の小学生は学校に水筒を持っていかないんだ、というのがものすごく意外でした。まあ確かに大阪の夏は蒸し暑いので、冷たいお茶が好まれたのかもしれませんが、にしてもこの差はかなりのものですよ。

    しかし水筒ルールの「氷は入れてきてもよい」ってのはわざわざ断らないといけないことなのか?とちょっと疑問です…。

    ダ・ヴィンチ・コードを見た

    土曜日は朝から映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見てきました。3月にはすでに前売り券を入手していたぐらいこの映画を楽しみにしていたのですが、先週の封切り直後から何かと物議を醸しているこの映画、おもしろくなかったらどうしようとちょっとだけ心配でした。実際日本人には理解しにくいような部分もありましたが、私は結構おもしろかったです。特に謎解きの数々や、いろんなどんでん返しが待ち受けていたりするあたりに引き込まれました。ただ原作を読んだ人にはちょっと不評のようで、実際一緒に見にいった連れも原作を先に読んでいたのですが、若干はしょりすぎじゃないかと言っていました。というわけでもう読んでしまった人は仕方ありませんが、まだの人は是非先に映画を見ることをおすすめします。先入観なしで見たら非常におもしろい映画だと思いますよ。

    千里ニュータウン展

    今日は、開催前から新聞等で取り上げられていてずっと気になっていた「千里ニュータウン展」に行ってきました。私自身は千里ニュータウン住民ではありませんが、やはり豊中好きとしては見ておかなければならないでしょう。会場は吹田市立博物館だったので、運動がてら自転車で行ってきました。途中アップダウンがきつかったですが、25分少々で会場に到着。

    特別展示場は3Fだったのでエレベータに乗ったのですが、たまたま乗り合わせた方が入場券をくださったので、ただではいることができました。どなたかは存じませんが、どうもありがとうございました。会場は思っていたより狭くて展示物もそれほど多くは無かったのですが、一つ一つの展示物が興味深くて、とっても面白かったです。市民中心の実行委員会が主体となって開催されたそうですが、とても良い企画だと思いました。ただビデオ上映している部分が他の展示と同じ場所で音が小さかったのが難点かなあ。千里ニュータウンが出来た頃、私はまだ生まれてもいなかったわけですが、当時のパンフレットを見るとほんとに最先端の未来都市、という感じがしました。私ですらおもしろかったのですから、当時を知る人だったらもっと楽しめるんじゃないでしょうか。

    私的に興味深かった展示を2つほど載せておきます。文章はパンフレットのものを原文のまま載せています。

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    そこは理想都市-千里ニュータウン
    大阪市の北郊に位する千里丘陵の広大な地域に、東洋一のモダンな住宅都市「千里ニュータウン」がほぼ完成し、居住人口はすでに10数万人にもおよんでいます。その中央地区センターには、ショッピング街、オフィス街、アミューズメント街、デパート、ホテル等が相ついで建設され、大阪の副都心~”千里サンタウン”と名づけて~を形作ろうとしています。当社の列車はそのセンタービルの地下2階に発着し千里ニュータウンの人々の足として貢献いたします。

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    万国博期間中だけあった千里中央「仮駅」

    エウレカ終わっちゃったよー

    昨日で1年間続いたエウレカセブンもとうとう最終回。こんなに一つのアニメにのめり込むのは久しぶりだったので、ちょっと寂しいなあと思いつつも、とにかく結末が気になって気になってしょうがありませんでした。頼むからバッドエンドだけはやめてくれ~と思いながら見ていたのですが、期待通りのようでいてちょっと予想を裏切るような、そんな感じの終わり方でした。個人的にはあの終わり方に満足しています。とにかく3月に入ってからはうるうる来るような話が多かったですが、最後もちょっとうるっときました。

    あー、あんなクオリティのアニメにはもうしばらく出会えないかもなあ、そう思うと寂しい…。

    意外だった親会社

    阪急百貨店、スーパーのニッショーを買収

    豊中市内ではおなじみのスーパー、ニッショーですが、どうやら阪急百貨店が買収することになったようです。それ自体は別に不思議でも何でもないのですが、ニッショーの現親会社が医療機器大手のニプロだったことの方にびっくりしました。それも、ニプロが多角化戦略か何かでニッショーを買収したのではなく、ニプロ自らが1963年に今のようなスーパーマーケット事業を始めています(ちなみにニッショーストア第一号店は服部店)。そもそもニッショーという名前も創業当時の社名である日本硝子商事株式会社から付けられたようですし、ニプロ自身の社名も株式会社ニッショーだった時期があったようで、切っても切り離せない関係だったようですね。ただ、現在のニプロのコア事業とはかけ離れていることも事実で、他社に売却した方が得策という判断がされたのでしょう。まあやむを得ないことだと思います。ただニッショーって結構この地域では昔からあって知名度が高く、人気もそれなりにあると思うので阪急にはそれをだめにしないようにがんばってもらいたいですね。そういえば曽根駅高架下のエキスパが3月末で閉店するのですが、もしかするとこの影響でニッショーが入ったりするのかもしれないなぁ。

    公文式のCM

    今テレビで放映されている公文式のCMでは、最後に「豊中東教室」っていう看板が出てきます。こんなところで豊中が全国に宣伝されてるよーとかいつも見てて思うのですが(笑)、他の地方だと豊中ってどこやねんって思ってる人も結構いるかもしれませんね。実際には「豊中東教室」は実在しないようなのですが、おそらく公文式創設者の公文公氏の家が東豊中にあったことから、こういう架空の教室名が付けられたのだと思います。そういえば先日お亡くなりになってしまいましたが、息子の毅氏は豊高出身のようです。私は豊高の図書館で公文氏の名前が書かれた貸出カードを見つけたことがあって、もしかしてあの公文さんかなあと驚いたことがあったのでした。

    かくいう私自身も小学生の頃は公文に通っていました。最初国・数とやっていて、その後英・数に切り替えたのですが、公文で習ってた所だけは強かったですね。その先の分野を学校で習ったときはさっぱりでしたが…。なのでまあ、公文は個人的には良いシステムだったと思います。当時は宿題さぼったりいろいろしましたけどねえ(苦笑)。