フランス・ワインの旅5日目(9/26) その2
ブロションを過ぎ、いよいよジュヴレ・シャンベルタンへと入っていきます。ここでは観光案内所があったので立ち寄り、地図をもらうことに。この地図には畑ごとの区分けが詳しく書かれていて、重宝しました。
↑ジュヴレ・シャンベルタンの入り口。ここまでの村に比べてぶどう畑の面積はかなり広いように思いました。
↑マジ・シャンベルタンの畑。同じAOCの中でも、特級(グラン・クリュ)や一級(プルミエ・クリュ)などの優良な畑はこのように名前が付けられ区別されます。
↑はるか彼方まで続くジュヴレ・シャンベルタンのぶどう畑。
↑シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ。ここも有名な特級畑です。
シャンベルタンで畑や収穫風景を撮りつつうろうろしていると、収穫作業をしていた東洋風の男性から不意に日本語で「こんにちは」とあいさつされました。最初いきなりのことで何が何だかわからずにわたわたしていると、ここがラトリシエール・シャンベルタンの畑だと教えてくださいました。まさかここで日本人に出会うとは思わなかったのでびっくりしましたが、どうやらこのあたりに住んでらっしゃる方のようです。ほんとはもっといろいろお話したかったのですが、収穫作業で忙しそうにされていたので、そのまま失礼することにしました。
↑ぶどうを運ぶトラック。ここで日本人の男性にお会いしました。
↑男性が教えてくれたとおり、この区画がラトリシエール・シャンベルタンでした。
グラン・クリュの間を抜け、この先はこれまた有名な産地であるモレ・サン・ドゥニです。
↑モレ・サン・ドゥニ。ここもグラン・クリュの宝庫です。
↑モレ・サン・ドゥニの北端にあるグラン・クリュ、クロ・ド・ラ・ロッシュ。もうこのあたりのワインになってくると軽く1本1万円を超すレベルになってくるので、飲む機会がないのが悲しい・・・。
↑モレ・サン・ドゥニの中心部。他の村もそうですが、ここもぶどう畑を走っているといきなりこのように村の中心部に突入し、あっという間にまたぶどう畑に戻る、というような風景の繰り返しでした。
そしてモレ・サン・ドゥニの市街地を通り抜け、その先はシャンボール・ミュジニーです。
↑シャンボール・ミュジニー。ここは力強いジュヴレ・シャンベルタンに比べてエレガントなワインを産することで有名な産地です。
↑シャンボール・ミュジニー中心部の路地裏に置かれていた、除梗後のぶどうの茎。取り切れなかったぶどうの果実が少しだけ残っています。
↑シャンボール・ミュジニーのぶどう畑。はるか丘の方まで続いています。
シャンボール・ミュジニーを過ぎ、この先はヴージョです。ここにはシャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョという、現在はワイン作りに関する博物館になっている建物があるので、そこに行ってみることに。
↑シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョの建物。お城のようで素敵な外観です。
しかしシャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョに近づいていくと、なにやら路駐がすごくて、人もたくさん歩いています。一体何事だと思いながら中に入ったのですが、どうやらなにか催し物をしているらしく、ワインに関する講演会や、ワイン関連の書籍の販売などが行われていました。普段は入場料がいるのですが今日はどうやらフリー入場のようです。
↑内部には意外と質素で無骨な建物がありました。この中にはワイン製造に使われる器具類が展示されています。
↑これはその催しにあわせて展示されていたもので、ワインを表現するのによく「~の香り」と言いますが、じゃあその「~の香り」って実際にはどんな香りなのか、というのを体感できるようになっていました。これはフルーツ・コンフィ(果物の砂糖漬け)の香りです。他には革の香りやバニラの香り、みたいなものも。
↑そしてびっくりしたのがこれ。ワイン関連の本の即売会場で積まれていたのは、まぎれもなく「神の雫」と「ソムリエ」でした。ワインの本場フランスでも評価されているんですねー。来場者が興味深そうに中を眺めていたのが印象的でした。
とにかく人が多くてあまりゆっくりもしていられなかったので、これぐらいにして外に出ます。もう時刻も15:30を回っていたので、先を急がなくてはなりません。ここからはレンタサイクル屋の店主オススメのルートである、丘寄りの道を通っていくことにします。
↑丘の上から撮ったシャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョ。ほんとにぶどう畑のど真ん中にぽつんとたたずむイメージでした。
この丘寄りの道はまさに農道といった感じで、車もほとんど通りません。そしてこの先はいよいよあのロマネ・コンティのある、ヴォーヌ・ロマネ!
↑ヴォーヌ・ロマネの特級畑の一つ、グラン・エシェゾー。ここはあのロマネ・コンティを所有するDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社)も畑を持っており、そのワインはロマネ・コンティほどではないにせよ、1本10万円台で取引されています。
↑ヴォーヌ・ロマネ中心部。小さいですが綺麗な街並みでした。
ここにはぶどう畑の地図があったので、ロマネ・コンティを探します。どうやらここからすぐ西に行ったところにあるようなので、そちらに向かうことに。するとどうやらそれらしいところを見つけたのですが、特に目立つような看板も何もなく、畑の広さも他と比べてかなり狭い(わずか1.81ha)ので、言われないと通り過ぎてしまいそうでした。
↑これがロマネ・コンティの畑です!・・・といっても他のぶどう畑と特に違うようには見えませんでした。まあそりゃそうですよね。
↑ロマネ・コンティの唯一の目印がこの十字架です。しかしここにもはっきりロマネ・コンティと書かれているわけではないので、やはり言われないとわからないと思います。
↑ロマネ・コンティのすぐ近くにあるグラン・クリュ、リシュブールとロマネ・サン・ヴィヴァンです。ここにもDRCは畑を持っており、品質の高いワインを生産しています。
↑このあたりも場所によっては起伏の激しい土地柄でした。
ヴォーヌ・ロマネからニュイ・サン・ジョルジュに向かって自転車を走らせていると、向こうから人を乗せたトラクターがやってくるではありませんか。道幅が狭いのでどうしようかと思っていたらトラクターは停車し、私を通してくれました。乗っていたおじさんに”Merci, Monsieur!”と声をかけ、先を急ぎます。
そしてようやくニュイ・サン・ジョルジュに到着。ここはオート・コート・ド・ニュイの中心地だけあって、ここまでの村に比べるとやや市街地化されている印象です。
↑ニュイ・サン・ジョルジュ中心部。ぶどうのモニュメントがつるされています。
しかしちょうどヴァンダンジュの真っ最中なせいか、街の中は静まりかえっていました。この地方の村や町にはたいがいデギュスタシオン(試飲)をしてワインを買えるドメーヌ(ぶどう畑を持ち、自ら醸造、瓶詰めする生産者)があるので、そこも立ち寄ってはみたものの、ヴァンダンジュで忙しいから、と断られてしまいました。まあ一年で一番忙しい時期ですから、仕方ないですよね・・・。他の季節に行かれる方は、ぜひ各地で試飲をしてみられると良いと思います。
↑ニュイ・サン・ジョルジュの姉妹都市が看板に記されていたのですが、一宮の名前が!どうやら旧・山梨県一宮町と姉妹都市だったようなのですが、現在一宮町は合併して笛吹市となっているようです。
↑ニュイ・サン・ジョルジュ郊外では、採れたてのぶどうをまさに除梗しているところでした。テントの左側に突き出た銀色のコンテナにぶどうが入っており、これががたがたと揺さぶられて果実だけが下に落とされていきます。
ここから先はしばらくめぼしいぶどう畑がないので、どこを走ろうかと考えながら、とりあえずSNCFの線路際を走っていくことに。プルモー・プリセ、コンブランシアン、コルゴロワンと、あまりコート・ド・ニュイ地区の中でも有名ではない産地を通過していきます。この3村は単独のAOCを持たないので、このあたりのワインはAOCコート・ド・ニュイ・ヴィラージュとして流通しているようですね。ただ線路際を走っていると、ぶどう畑でないところも目に付きました。
↑SNCFの線路。架線を見ると結構高速運転に対応した造りになっているようです。
↑コルゴロワン駅。あまり停車する列車は多くなさそうで、閑散としていました。
そしてここでコート・ド・ニュイ地区は終わり、ここからはコート・ド・ボーヌ地区に入ります。
コルゴロワンを出てしばらくすると、まずラドワ・セリニーに入ります。そしてここでアロース・コルトンとショレ・レ・ボーヌとの分岐点が現れました。
↑右に行くとアロース・コルトン、左に行くとショレ・レ・ボーヌで、どちらもここから2kmの道のりでした。
どちらの行こうかとしばし考えた末、まずは右のアロース・コルトンに行ってみることに。アロース・コルトンは昨夜レストランで飲んでおいしかった赤ワインの産地なのでやはり気になります。途中N74号線(ボーヌ道路)を渡るとき、車の往来が多い上に信号が無いので難儀しましたが、それを越えるとすぐ先がアロース・コルトンでした。ここには赤のコルトンと、白のコルトン・シャルルマーニュという2つのグラン・クリュがあり、有名な産地です。
↑アロース・コルトンに到着!もう17時を回っていたので、ちょっと日が傾いてきました。
さらにここから2km先にペルナン・ヴェルジュレスがあるので、そちらにも行ってみることに。コルトンほどの知名度はありませんが、ここも比較的リーズナブルで良質なワインを作っているところです。しかしコルトン自体が丘になっており、さらにペルナン・ヴェルジュレスにかけて斜面になっているので、さすがにそろそろ疲れが出てきた体には、坂を上るのがちょっときつかったです。
↑コルトン・シャルルマーニュにあるBonneau du Martray(ボノー・デュ・マルトレイ)の畑。一見してわかるように、すごい傾斜地にぶどうが植えられています。
↑石標?とでも言うんでしょうか。ここがコルトン・シャルルマーニュで、右がアロース・コルトン、左がペルナン・ヴェルジュレスという位置関係がよくわかります。
↑やっとペルナン・ヴェルジュレスに到着!疲れた・・・。小さくてかわいらしい村でした。
↑ペルナン・ヴェルジュレスの丘の上でもまさにぶどうの収穫中でした。
ここから丘を回り込むように南西にあるサヴィニ・レ・ボーヌへと向かいます。このあたりは丘が続いていて、とても見晴らしがよくて美しい景色でした。
↑これだけの傾斜地ならきっと水はけも良くて良質なワインができるような気がします。
↑サヴィニ・レ・ボーヌに到着。ここも土地の感じはペルナン・ヴェルジュレスと似ています。
サヴィニ・レ・ボーヌではちょうどヴァンダンジュが終わって、作業していた人をたくさん乗せたトラックが帰ってくるのにすれ違ったのですが、そのときトラックに乗った少年に不意に”Bonjour!”と声をかけられました。私も思わず”Bonjour!”と返したのですが、まだここには知らない人同士でもあいさつをする文化が残っているのかなーと思ってちょっとうれしくなりました。
↑中心部にあるシャトー・ドゥ・サヴィニ・レ・ボーヌ。由来などはわかりませんが、歴史のありそうな建物でした。
丘登りでもうふらふらになっていましたが、最後の力を振り絞って、ショレ・レ・ボーヌへと向かいます。帰りもN74号線が全然渡れなくて苦労しましたが、ここさえ渡ればあとは下り坂で一気に先へ。
↑サヴィニ・レ・ボーヌからショレ・レ・ボーヌに向かう途中の風景。自転車に乗りながら撮ったので短いです。
↑ショレ・レ・ボーヌ。ここは普通の平地で、それほど特筆すべきことはありませんでした。
ショレ・レ・ボーヌは中心部がどこなのかさっぱりわからなかったのですが、あちこちに除梗作業をしているドメーヌがありました。ただもう18時を回っていて、自転車を返す時間が近づいていたので、早々に後にすることに。高速道路の高架をくぐり、ようやくディジョンから50kmほどの道のりを帰ってこられた!・・・と思ったのもつかの間、最後の最後でちょっと道に迷ってしまいました。それでもなんとか線路を発見し、無事にボーヌ駅に到着。
そして自転車を返しに行くと、店主にどんな所を回ったのかを聞かれました。そこで間違えてディジョンまで行っちゃったことや、ヴァンダンジュを見られたことなどを話し、最後にこの自転車がとても良かったと伝えると、親指を立ててくれました。
一旦ホテルに戻り、今夜はレストランを探す気力がなかったので、すぐそばのDame Tartineというレストランで食べる事に。23ユーロの定食があったので、それをチョイスしました。
↑まずは前菜のエスカルゴ。ブルゴーニュと言えばエスカルゴは外せません。味は薄めでしたが、やはりパンが良く進みます。ワインはメルキュレの赤を頂きましたが、ちょっと軽い感じでした。
↑メインディッシュはこれまたブルゴーニュ名物のCoq au vin(鶏の赤ワイン煮)。ほんとにブルゴーニュ風と付けばたいがい赤ワイン煮のような気がしますが、味は確かにおいしかったです。ワインはオート・コート・ド・ボーヌを頂きました。
↑デザートのフロマージュ・ブラン。自分でグラニュー糖をかけながら食べるようになっていましたが、とてもおいしかった。
レストランのレベルとしてはまあまあ、という感じでしたが、ワイン2杯飲んで33.4ユーロ(約3,900円)だったので、高くもなく、安くもなく・・・でした。でもとにかく疲れていたので、まだ20時過ぎぐらいでしたがすぐホテルに戻り、早々に就寝。
翌日はボーヌの中心部を観光してワインを試飲するのですが、それはまた次回。