裏・徒然日記
2001年3月〜2002年3月



さて、というわけで去年3月からの約一年間を振り返ってみることにしましょう。途中斜体で書かれている部分は、当時ネットにあげることなくローカルで時々書いていた日記です。かなり感情的に書いてる部分もありますが(汗)。



2001/03/29 入寮

この日のことは多分一生忘れないでしょうねぇ。詳しくは本編の日記の方にも書きましたが、ほんと最初は心細かったです。でも行きの新幹線の中では民法の参考書読んだりしていて、もうすでにやる気(?)はまんまんでしたけども…。やっぱり人間、焦れば焦るほど勉強する気になるものです。もちろんその他の参考書一式は前もって寮に送ってありました。



2001/04/02 入社式

いよいよ社会人生活第一日目のスタートです。でもやっぱり入社式の会場ではいやでいやでしょうがありませんでした。まあこれは私だけではなく、社会人になりたての人ならほとんどの人が感じることだと思うんですけどね…。慣れない東京のラッシュにもまれていると、大阪が恋しくてしょうがなかったです。



2001/04/03 霞ヶ関へ

本編の日記の方では「ふらっと国会議事堂の方まで行ってきました」と書きましたが、これは実は裁判所事務官採用試験の願書をもらいに東京地方裁判所まで行くのが本来の目的でした(ちなみに国家公務員採用試験の願書は、3月中に大阪で入手済)。研修の終わったのが5時過ぎだったので、裁判所が閉まる前にたどり着けるか不安だったのですが、三田から霞ヶ関まで途中走りつつ地下鉄を乗り継いでいったおかげで、なんとか間に合いました。ついでに国会議事堂と最高裁判所も外から見物してから帰宅。



2001/04/07 一週間終了

怒濤の一週間がようやく終わった。
正直、さっさとやめて楽になりたい、とどんなに思ったことか。
だけどそれはできない。
やめる方法はただ一つ。公務員になることだ。
そう思うと不思議と試験勉強をしたくて仕方なくなってくる。
これはチャンスだ。
絶対に負けるわけにはいかない。

ほんとにあのときは不安でしょうがなかったんだなぁ、と今読み返してみても思います



2001/04/08 TOEIC

明日はTOEICだが、それよりも試験勉強の方が気になる。
気ばかり焦ってもうまくいかないのだが、まったくやる気がでなかった
先月までとは雲泥の差だ。
自由になる時間はほとんどとれないし、他の社員の前で参考書を
広げるわけにもいかないので勉強できる場所は限られるが
やるしかない。
もう後戻りは、できない。

…でもこのときのTOEICは予想外に出来が良かったんですよねぇ。やはり追いつめられるとなんでもできるものなんでしょうか。



2001/04/09 疲労

またあわただしい一週間がはじまる。
正直、しんどい。
社会人が大変だというのは頭ではわかっていたが、いま体でそれを
実感している。
それにしても、慣れない人といるのは疲れる…。
はたから見たらいつも一人でいるように写るのかもしれない。
正直それもまずいかな、と思うが、慣れない人といると疲れてしまうのだ。
なんというか、俺は彼らと釣り合わない気がする。
俺はそんな優秀なエリートなんかじゃない。
平凡な幸せ以外、なにも望んじゃいない。

慣れない人といると疲れる、というのは今でもそうなんですが、やっぱり人付き合い悪いと思われちゃいますよねぇ。でもほんとにしんどいんですよ…。このときは特に精神的にも張りつめていたので、よけいにそうだったのかもしれません。



2001/04/10 国家II種願書提出

そろそろこっちの生活にも慣れてきた気がする。
でも朝の通勤ラッシュの混雑にはいい加減辟易してしまう。
今日第II種国家公務員の申し込みをした。
勝負はこれからだ。

申し込みをしたのはI種とII種の両方なのですが、I種ははなから受かる気はなく、ただ試験傾向を確かめるためだけに申し込んでいます(I種のほうが試験先なので)。ちなみにこのころから昼休みは友人と別れて一人でお昼を食べ、残りの休み時間を近くの喫茶店でコーヒーを飲みつつ勉強するという行動が定着しつつありました。寮に帰ってしまうと疲れて勉強する気なくなっちゃいますから、こうでもしないと仕方なかったのです。



2001/04/11 裁事II種願書提出

今日は事業場の半導体ラインを見学した。
普段絶対に見られないところだけに感激した。
これで会社に入った目的の8割は達成されたと思う。
裁判所事務官II種試験の申し込みもすませる。
いよいよ舞台はそろいつつある。

…ちょっと大げさな事書いてるな、と思いますが(苦笑)。でも半導体の製造ラインなんてあんまり見られるものじゃないですから、やっぱり感激はひとしおでした。



2001/04/12 焦燥

…疲れた。
相手は正論を言っているっていうのはわかる。
だが、おれはおれの道を歩けばいいじゃないか。
なんでこんなに影響されなきゃいけないんだ。
落ち着け、落ち着け、俺…。
俺は出世や名声を求めてるわけじゃないんだ。

これは飲み会の時、同期の一人にふと冗談交じりで公務員になりたいなぁともらしたところ、なんかやたらえらそうに意見されたことにむかついて書いてます(苦笑)。正直、彼のことは最後まで嫌いでしたねぇ。まあ研修終了後は滅多に会うこともありませんでしたが。



2001/04/17 転寮通告

今日もとにかく疲れた。
会社でのことでだ。
面接する前から配属がわかってるのなら
最初から近くの寮に入れてくれ…。
いまさら転寮なんて言われても困る。
会社の方針にどうも最近疑問を感じる。
今日、職場の同僚となる方々とお会いした。
正直、あんまり親身に接されると困ってしまう。
俺は1年で絶対にやめてやるのだから…。

これも大げさなこと書いてるなぁ、と思いますが…。でもようやく寮生活に慣れてきた矢先に転寮なんて言われたら、やっぱりちょっと嫌ですよ。1年で絶対にやめてやる、は捨てぜりふみたいな感じでしたが、まさかほんとにそうなるとはねぇ…。



2001/04/19 仮配属

気分的にはやや持ち直した気がする。
だがまだまだ不安でつぶされそうになるときがある。
とにかく今は勉強をして少しでも気を紛らわさなければ。
人付き合いは苦手だが、信頼できそうな友人も何人かできそうだ。
来週からは本格的に社会人生活が始まる。
正直、怖い。

このとき出来た友人のうち、職場が近かった数人とはその後もつきあいがありました。やっぱり完全に一人、っていうのはそれはそれで寂しいですしねえ。でもつきあいは悪かったと思いますが(汗)。



2001/04/22 電話

次々と襲い来る不安…。
つぶされそうになる。
俺は果たしてやっていけるのだろうか?
このままでは体にも変調をきたしてしまいそうで怖い。
とにかく今は勉強をして気を紛らわすしかないのかもしれない。

土・日に一人で部屋にいると、たまに押しつぶされそうになって、ものすごくつらいことがありました。あまりにつらかったのでちょっと家に電話をかけたのですが、母親としゃべってると涙声になってる自分に気が付いたり。とにかく誰でも良いから、気心知れた人としゃべりたくてしょうがなかったのかもしれません。



2001/04/25 仕事開始

頭が痛い…。
ここ数日、覚えることがあまりにも多すぎるように思う。
仕事の進め方を覚えつつ、片方で刑法の勉強。
一歩間違うとおかしくなってしまいそうでこわい。
最近、会社を辞めるときの言い訳を考えては怖くなってしまう。
そんなの受かってから考えればいいのに…。
やっぱり勉強するしかないのだ。
だが刑法の勉強は楽しい。法律は奥が深い。

職場に配属になってからは、勤務中は仕事を必死で覚えつつ、昼は一人でさっさと食事を済ませて人の少ない休憩所で試験勉強。またこの頃は寮が遠かったので、行き帰りの電車の中でももちろん勉強していました。そりゃ頭も痛くなるというものです。ここまで勉強したことって初めてかもしれません。高校入試や大学入試でもここまでやらなかった気が(汗)。刑法は国家公務員採用試験にはいらないのですが、裁判所事務官採用試験には必須なので、このころから勉強し始めました。ですがここで刑法を勉強しておいたおかげで、あとで非常に救われることになります。



2001/05/09 GW明け

職場にも少しずつではあるが、慣れてきた。
だが一日一日の疲労が激しすぎる…。
ほかになにもする気が起きない。
ちょっとでも勉強しなければならないのに。
ここで負けるわけにはいかない…。

GWに実家に帰宅したときは、なんだかものすごく久しぶりに帰ってきたような気がして、とてもうれしかったのを覚えています。その反動で、帰りの新幹線はむちゃくちゃ憂鬱でした。そんな時期ですから、やっぱりしんどいと思ったのでしょう。



2001/05/13 転寮

というわけでこの日に転寮しました。本編の日記にいろいろ書いてあるので詳しくは割愛しますが、通勤時間が短くなってしまったので、前みたいに行き帰りの電車で勉強ができなくなってしまいました。仕方ないので転寮後は、乗り換え駅である橋本にあるスターバックスでコーヒーを飲みながら勉強することが多くなりました。でも毎日行くとさすがに財布につらいので、週2〜3回ぐらいでしたが(それでも多い?)。おかげですっかりスタバ通になりました。



2001/06/10 国家I種試験

会場は東大駒場キャンパスだったので、朝早くに寮を出て会場に向かいました。東大なんて入るの初めてだったのでどんなところかと思いましたが、いかにも大学って感じの建物でした。試験自体はやはり難しく、あんまりできませんでした。まあ傾向みるだけなので良いのですが…。わからないところが多かったので、途中であきらめて会場を後にし、アキバに寄って帰りました(おいおい)。



2001/06/17 裁事II種試験

会場は関大千里山キャンパスでした。裁判所事務官採用II種試験は、勤務希望地で一次試験を受けないといけないのです。というわけで6/16,17と緊急帰阪(謎)。関大の千里山キャンパスなんて、大学入試で関大受けて以来だったのでかなり久しぶりです。入試の時は自転車で行ったのですが、今回はさすがに電車にしました。中に入ると結構受験者がいてびっくり。うわ、こんなにいたらさすがに無理かなあ、周り多分法学部出身者ばっかりだろうしなぁと思いながらも、なんとか一般教養と憲法・民法・刑法の試験を終わらせました。まあそこそこはできた手応えがあったので、五分五分ぐらいかなあという感じでしたね。ちなみにこの頃は裁判所の仕事に結構興味が向いていて、国家公務員よりもこっちのほうが良いかなあと半ば本気で考えていました。



2001/06/25 国家I種合格発表

発表は見に行けないので郵便待ちだったのですが、やはり来ませんでした。まあもともと受かる気もなかったのでなんとも思いませんでしたが。



2001/07/01 国家II種試験

会場は水道橋にある日大法学部の建物でした。この日のためにいままで勉強してきたのだと思うと、自然と力も入るというものです。選択科目は、政治学、憲法、行政法、民法、経済理論、財政学・経済政策の6科目を選択。まあ無難なところでしょう。しかし私は経済学部卒のくせに、経済系の科目が得意じゃないのです(汗)。でもまあ、なんとかマークシートを埋めて提出しました。試験後はアキバまで目と鼻の先、ということでアキバに行き、HDDを買って帰りました(こらこら)。



2001/07/14 裁事II種合格発表

仕事に慣れてきている自分がちょっといやだ。
やはり裁事の試験に落ちたのはそれなりにショックだったの
だろうか。
正直言って国家II種に受かっている自信はない。

裁事II種の発表は7/9で、webでも結果が発表されるというので、会社の端末から必死に見ようとしたのですが、アクセスが殺到してずっとみられない状態が続いて、ちょっと焦りました。夕方になってようやく見られたのですが、私の受験番号はありませんでした。裁事の試験はそれなりに出来た手応えがあっただけに、結構ショックでした。やはり司法試験を断念したような受験生がごろごろいる裁事の試験では、付け焼き刃の勉強しかしてない私では相手にならないということでしょう。なんだかどっと疲れた一日でした。



2001/07/27 国家II種合格発表

この日も朝から仕事が手に付かず、ずっとどきどきしていました。昼頃実家から電話があり、合格通知が来たとのこと(結果は実家に届くようにしていたため)。これを聞いてようやくほっと一息つくことができました。正直試験はそんなにできたという感触がなく、だめかなあと思いかけていたため、救われた気分でした。しかし7/31が官庁業務合同説明会で、8/1が二次試験(面接)というすさまじいスケジュールだということがわかり、ちょっと困ってしまいました。どちらも平日なので会社を2日も休むわけにいかなかったからです。仕方がないので説明会は蹴って面接の日だけ有休を取りました。しかし説明会はやはり行っとかないと後が大変です。官庁個別の説明会の予約はだいたいこの合同説明会で予約がいっぱいになってしまうところがほとんどなので、この後私はえらい苦労をするはめになります…。



2001/08/01 国家II種二次試験

前日の夜に新幹線に飛び乗り、急遽帰阪。面接は午前中だったので朝早く起きて会場の合同庁舎へ。ここで前日説明会に行ってなかったのでもらっていなかった官庁ごとの採用予定数を書いた紙をもらい、その後面接へ。面接では当然ながらどうして会社を辞めてまで公務員になりたいのかをさんざん聞かれました。まあ当たり前ですけどね…。でもこの質問は正直いってかなりつらかったです。それに面接自体もかなり久しぶりで、相当緊張しました。面接後は、説明会の予約を全然していなかったので、興味のある近隣の官庁を片っ端から回りました。予約がいっぱいでキャンセル待ちと言われたところも結構あったのですが、なんとか数カ所は押さえることができました。で、たまたま寄った大阪地方検察庁では、この後すぐ説明会だから寄って行かないかと言われて、そのまま寄ることに。検察は裁判所に近いから興味があったのですが、いやあ、かなり警察っぽい仕事なんすね(汗)。私にはとても無理そうだと思いながらも一応説明を聞いて会場を後にしました。その後家に帰って着替え、そのまま寮へとんぼ帰り。この日はしんどかったっす。翌日も仕事がありましたしね。



2001/08/04〜13 夏期休暇

…休暇といいつつ、私にとっては官庁訪問に明け暮れた10日間でした。正直官庁よりも一週間ほど会社の休暇が早かったおかげでかなり助かったのですけどもね、有休使わずに済みましたから。まず8/6は財務省近畿財務局へ。財務省はさすがに志望する人のレベルも高いらしく、私には向いてないなと感じました。8/7は法務省大阪法務局の説明会。法務省は興味があったので、説明会もかなり真剣に聞いていました。8/9は午前中は京都大学まで行きました。京大職員も国家公務員に入るわけですが、ここは説明会に行ってみて、一番働きたいと思ったところでした。というわけでここを第一志望にすることにしました。午後は大阪まで戻り、国土交通省大阪地方整備局へ。仕事の内容はともかく、国土に関する仕事なので事務所が近畿各地にあり、遠くにとばされるとかなわないのでここはパス。でも一対一で説明してくれた方は結構良い方だったので、印象は悪くなかったです。しかし夏の暑い最中にスーツ着て官庁を回るのはかなり体力的にきつかったです。俺休暇中になにしてるんやろなあとふと思うこともありました。



2001/09/05 国家II種合格発表

とまあ、そこまでしてがんばった国家II種でしたが、結果はだめでした。あぁ、あれだけ苦労した官庁訪問は一体なんだったんだろうなぁと正直むなしくなりましたね。しばらく落ち込みましたよ。しかしいつまでも落ち込んでいられないのでどうしようかと考えた結果、地元の市役所を受けることにしました。正直、採用予定数はたった10人だからまず受かるわけがないし、試験当日は豊高の文化祭だから受けようかどうしようか迷ったのですが、最後の希望ですし、まあやるだけのことはやってみようと思い、申し込むことにしました。しかし申し込みが9/7までで、郵送ではとても間に合わないということで、急遽9/7は有休を取って帰阪。市役所に直行して申し込みを済ませました。ちなみに市役所試験は北摂6市(豊中・箕面・吹田・摂津・茨木・高槻)が合同で行っていて、採用予定数は高槻市が一番多い(34人)ので、最初は高槻市にしようかとも思ったのですが、多分みんな考えてることは同じだろうと考え直し、地元の豊中にしました。



2001/09/16 市役所一次試験

会場は豊中一中でした。チャリで5分とかかりません。過去問は入手できなかったので、正直どんな問題がでるのか不安でしょうがなかったです。一応民法だけは直前に見直したのですが、他の科目は前回の国家II種で燃え尽きていたため(苦笑)もうやる気になれませんでした。試験ですが、一般教養と、あと専門科目がいろんな分野から出題されていました。正直言って専門科目が選択式ではなく、全問回答しないといけなかったためつらかったのですが、刑法が2問ほど出題されていたため、裁事対策で刑法を勉強しておいたことが非常に役立ちました。全体を通してのできはまあまあと言ったところで、あんまり自信はありませんでしたが、まあやるだけのことはやったと感じました。これで無理ならまた来年だー、とちょっと開き直る気持ちもありましたが。試験後は豊高に直行しました。もう文化祭は終わりかけでしたけどね…。



2001/10/04 市役所一次合格発表

この日も仕事で発表を直接見に行けないので、郵便での合格通知待ちでした。でも実家から合格通知が届いたとの電話はとうとうかかってきませんでした。あぁ、やっぱりだめだったか…と暗い気分になりながらその日の仕事を終え、帰寮。念のため確認の電話を実家にかけましたが、やっぱり届いていないとのこと。その日はもう一年がんばるしかないか…とかいろいろ考えながら床につきました。しかし翌日になって合格通知が届いたとの電話がかかってきて、びっくりしました。国家II種では郵便でも即日通知だったのに、市役所は一日ラグがあるなんて、驚かさないでください…。でもおかげで沈んでいた気分が一気に晴れました。この後10/6は電研の全市全郡コンテストに出るため帰阪したのですが、その折に市役所に掲示されていた合格発表を見ると、ちゃんと私の受験番号がありました。だいたいこの時点で40人ぐらいに絞られていたようです。



2001/10/14 市役所二次試験(作文・適性検査)

会場は上野坂の豊中看護専門学校でした。作文は何書いたっけな(汗)。やりたい仕事とか、そんなのだったような気が。適性検査はなんと懐かしの内田クレペリン検査でした。あの隣同士の数字を足していくやつです。腕が死にそうになりました。その後別の適性検査も受けましたが、クレペリンの後は思考力がぼろぼろで、あんまり出来なかったなぁ。それから健康診断を受けて帰りました。



2001/10/29 市役所二次試験(面接)

10月3度目の帰阪(汗)。平日なので有休を取りました。この日は午前中から面接で、永楽荘にある研修所のようなところまでバスで行きました。私の他に5人ほど受験者がいたのですが、まずそのメンバー全員で集団討論をやりました。私はこの集団討論がかなり苦手なのですが、まあ発言の機会は少なかったものの、そこそこ気の利いたことは言えたかな、という気はしました。その後面接は私が一番順番でいうと最後だったため、延々2時間ほど待たされてようやく順番が回ってきました。でもなんで今の会社を辞めてまでやりたいのか、そのあたりを鋭く聞かれて、かなりまいってしまいました。前回国家II種の時も同じような質問を受けたので、前回よりはまともに答えられたかなあとは思いますが、それでも相当プレッシャーでした。終わった後、あぁ、これはもう駄目だ…と相当落ち込んだものです。



2001/11/22 市役所最終合格発表

最終合格発表は、不合格でも結果が郵便で来るとわかっていたので、少々気が楽でした。でもやはりどきどきものでしたけどね…なんせこれが最後の頼みの綱でしたから。で、結果ですが、なんと補欠合格でした(汗)。なんてちゅーとはんぱなぁ〜。でもまあ、不合格ではなかったわけですし、少しはほっとしました。でもまだ採用されると決まったわけでもなし、なんだか落ち着かない気分でしたねえ。



2002/01/21 採用通知

最終合格発表からしばらく間が空いたので、もうだめかなあと思い始めていた矢先、突然採用通知が届いたと実家から電話がありました。いやあ、正直言ってびっくりしました。でもそれと同時に、まだ一年目なのにどうやって会社を辞めると上司に切り出そう……と考えると胃が痛くなりそうでした。



2002/01/30 揺れる心の内

俺、会社やめられるのかな…
ここまでがんばってきたんだから、最後の試練ぐらいぱっと
飛び越えたい……だが、なにをこんなにおそれてしまうんだろう。

市役所に採用意思確認の書類を出さないといけなかったので出したのですが、出してしまってからもまたいろいろと思い悩んでいました。



2002/02/16 退職願

ついにやめると宣言した。
もうあとにはひけないぞ…。

2/13に上司に会社を辞めることを伝えたのですが、ほんとは2月いっぱいで辞めたかったところを引き留められてしまい、結局3/22まで勤めることになりました。言ってしまってからは、ほっとした気持ちと、ほんとにこれで良かったんだろうかという気持ちがしばらく交錯していました。



2002/03/22 最終出社日

前日が祝日だったため荷造りをある程度済ませ、この日が最後の出社日となりました。でも最終日までいろいろと仕事が忙しく、なかなか書類の整理が進みませんでした。おかげで仕事後の送迎会に遅れてしまうという始末(汗)。一年という短い間だったのですが、ほんとに会社ではお世話になった方が多く、そういった方には今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですがここまで来るともう次の仕事をやるしかない、という気持ちになっていました。配属当初、右も左もわからない時に仕事の進め方や社会人としてのありかたをわかりやすく教えてくださったF主任、同じ関西の出身ということもありプライベートでは親しくして下さった反面、仕事ではとても厳しく指導していただいたI主任には本当に感謝しています。



2002/03/23 帰阪

二日酔いで昼前に目が覚め(苦笑)、そこから大あわてで残りの荷造りをしました。しかし頭痛がひどくてかなりつらかった…。それでもなんとか宅急便で段ボール10箱以上を持っていってもらいました。夜は東京駅まで出て、23:00発の寝台急行「銀河」に乗って帰阪。寝台列車なんて乗るの約10年ぶりで、すごく懐かしかったです。やっぱり寝台は楽だなぁ…深夜バスなんかと比べると。ただバスと違って振動が多いのが難点ですか。ま、そんなわけで翌朝7:18に大阪着。やはりこのときには感慨がありました。





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