徒然日記(昔の)
(不定期更新)


99年08月06日(金)

では今回は7/21〜23にかけて、東京は秋葉原まで行って来たときの事を書きます。ちょっと長いので、覚悟して読んでください。


出発は朝の6時前。この季節、もうこの時間帯はかなり明るいのだが、人がほとんどいないので、なんだか変な感じがする。駅までのいつもの道のりを、今日はちょっと違う面持ちで歩く。朝6:03発の梅田行きに乗ると、この時間帯でも結構乗客がいる。席は空いてなかったのでつり革につかまり、朝の町並みを眺めながらしばし感慨に耽る。しかし実は次に乗る電車への乗り換えにそんなに時間がないので、内心ちょっと焦っていた。

    大阪6:23 - 米原8:15(東海道本線・快速米原行き サハ220-2)
乗り換え5分少々でなんとか飛び乗る。実はこの快速は去年東北を旅行したときに乗ったのと全く同じ電車なのだが、去年は5:52発の阪急に乗っていたので、乗り換えにそんなにあわてなかったのだ。今年は出発からすこしあわただしい。まあ乗れたので良しとしよう。この時間帯とはいえ、乗客はかなりのもので、立っている人も結構いた。ただ新大阪、茨木と過ぎるにつれ、立っている人がいなくなるぐらいまでは空いてきたので、何とか茨木で座ることが出来た。京都を過ぎればもっと減るかな、と思ったが甘い甘い。近江八幡を過ぎても人はいっこうに減らない。ようやく彦根で大半の人が降りて、車内も空いてきた。だが終点の米原はもう次の駅だったりする…。ちなみにJR西日本の快速・新快速に使われている221系車両は乗り心地が良いのでとても好きだ。

    米原8:23 - 豊橋10:30(東海道本線・快速豊橋行き モハ117-52)
これも実は去年乗った電車である。ちょっと車両は古い感じがするが、まあ乗り心地はさほど悪くない。米原で乗ったときは乗客もそんなに多くなかったが、大垣を過ぎるあたりから、ちょっと多くなってくる。ちなみに米原から大垣までは空白地帯と言っていいほど電車の本数が少ない。このあたりは結構山の中を通っているからだろう。大垣を過ぎて、岐阜、名古屋と過ぎるあたりで乗客はかなり増え、立っている人も結構出てきた。時間的にも朝のラッシュと重なったからだろう。名古屋を過ぎてもそこそこ乗客は乗っている。これは全然関係ない話だが、豊橋に着く少し前に乗ってきた女子高生とおぼしき二人組のまあやかましかったこと。コギャルっぽかったが、突然少し古いヒット曲をでかい声で歌い出して、曲当てとかやっとるし…。睡眠時間1時間の頭に響いてつらかった。

    豊橋10:49 - 浜松11:21(東海道本線・普通浜松行き クハ111-2128)
そんなこんなで豊橋に到着。この後昼飯を調達できる時間がなさそうだったので、ここで駅弁を購入。といっても普通の幕の内である。しかしこれが後々の悲劇の始まりだった(大げさな…)。そして電車が少し遅れて来たので乗り込むが、すごい人である。何とか席は確保できたが、立っている人もかなりいた。まあ4両編成なので当然といえば当然かもしれない。車両は古めかしい向かい合わせのボックスシートで、車両の塗装もあのオレンジと緑の昔ながらのやつである。まあこの電車は30分少々しか乗らないので、別段気にはならなかった。駅弁はどうしようかと思ったが、人が多いのとすぐ降りると思ったので食べずにいた。途中天気が良かったので浜名湖がよく見えた。その後電車は少々遅れて浜松に到着。

    浜松11:22 - 熱海13:46(東海道本線・普通熱海行き クモハ211-5614)
この電車は先の浜松行きに連絡しないといけないので、11:22を3分ほど過ぎていたが、ちゃんと浜松で待っていた。そして4分遅れで浜松を出発。この電車はいわゆるロングシート(横に長い8人掛けぐらいの座席)で、長距離乗るにはあんまり向いていなかった。おまけに乗客が多い〜。3両編成であるせいもあり、最初座れないぐらいだった。しばらくして座席が空いたので座ったが、それでも人はいっこうに減る気配なし。焼津を過ぎても静岡を過ぎても減らない。人が減ったら端の方に座って駅弁を食べるという計画はもろくも崩れ去ってしまった。おなか減った〜〜。でまあ、やることもないのでとりあえず少し眠った。何しろほとんど寝てないのだ。そして沼津を過ぎたが、それでも乗客は減らず、結局そのまま熱海に到着してしまった。今回の旅の中でこの2時間が一番しんどかった気がする。

    熱海14:00 - 東京15:33(東海道本線・快速アクティー東京行き サハ215-202)
すっかり疲れ果てて熱海に着いた後、一本普通電車を見送って、快速に乗車した。時刻表を見るとオール2階建車両で運転、と書いてあったので、乗れるかどうか心配したが、ちゃんと普通車もあったので乗ることが出来た。何はともあれ、2階建車両である。2階に行かない手はない(笑)。当然天井は低いが、車両も新しく、なかなかの乗り心地だった。まあ朝乗った221系ほどではないと思うが…。そこでまず先ほど食べそびれた駅弁を食べることにした。しかし豊橋の駅弁を熱海を過ぎて食べるというのもなかなかおつな物である(おいおい)。とにかくおなかが空いていたので、一気に腹に流し込んだ。後はぼけーっと車窓からの景色を眺めていたが、小田原、横浜と過ぎるにつれ、だんだんと関東圏に入っていることを実感する。そして川崎、品川、新橋と過ぎ、いよいよ東京着である。このとき空は曇り始めていて、雷も鳴っていたのだが、雨は降ってなかったので、さして気にしていなかった。しかしこれが第2の悲劇を生もうとは夢にも思わなかった(これは少々実話)。

その後、山手線で秋葉原に向かう頃になると空がどんどん曇っていった。そして秋葉原について外に出たとたん、ざーっ!っとものすごい雨。傘を持ってない人たちはみんな屋根のあるところに避難し始めた。しかし私はまだ到着したところだったので避難するわけにもいかず、ものすごい雨の中を小さな折り畳み傘一つで歩いた。この日は秋月電子通商に行くつもりだったので、まずはそこに向かったのだが、なんと、22日まで臨時休業の張り紙が…。お願いだからそういうことはホームページに書いといて〜。仕方なく近くの千石電商に向かい、ケーブル類を購入しただけで、アキバを後にした。

その後、東京の紅茶屋に入って少し落ち着こうと思い、お茶の水へと向かう。ここでも改札を出ると、途方に暮れた人たちでごった返していた。確かにすさまじい雨が降っていた。このとき駅の電光掲示板によると、武蔵野線の一部区間は不通になっていたらしい。それでもその雨の中、地図と住所を頼りに紅茶屋探しに出た。我ながら無謀なことをしたと思う。傘などほとんど役に立たず、全身びしょぬれになりながら、さらに道にも多少迷いながら、ようやく目当ての紅茶屋に到着。びしょぬれなのでちょっと入るのに気が引けたが、とりあえず紅茶を飲んで落ち着くことができた。しかし、どうもこの店は好きになれなかった。店主とおぼしき人物は、若いバイトの子数人に店を任せてカウンターでたばこを吸っていて、途中からは誰かと商談を始めだして、客の私のことなどまるっきり無視。どうにも居心地が悪かった。まあ紅茶の味は値段相応だったが。

紅茶屋を出たとき、まだ時間は5時ぐらいだったが、旅の疲れと、雨に濡れたのとで疲労がピークに達し、もう歩く気がしなかったので、地下鉄に乗って今日泊まる御徒町のビジネスホテルに行くことにする。なれない東京の地下鉄を何とか乗り継いで、ようやく到着。ホテルの近くでラーメンを食べ、7時過ぎにチェックインした。しかし、最初ルームキーで部屋が開かず、途方に暮れる。押しても引いてもドアはいっこうに開かない。仕方なくフロントに言って、部屋を変えてもらったら、ドアはすんなり開いた。あれはいったい何だったのだろう…。そんなこんなで部屋に入る。狭い。とにかく狭い。2畳ほどの広さしかない。布団でほぼ部屋はいっぱいである。でもとにかく全身びしょびしょで疲れ切っていたので、狭くても個室はありがたかった。カプセルホテルでは、こうはいかなかっただろう。まずは濡れたズボンと靴を持ってきていたドライヤーで乾かし、あと鞄の中の濡れた物(これが結構あって大変だった)を周りに広げていると、もう眠くなってきたので、8時には就寝。なんて健康生活なのだろう…。

翌日、8時に起きて朝風呂に入る。しかし風呂も狭い。むちゃくちゃ狭い。こんなところで体を洗えというのだろうか…。まあとにかく入ることにする。まるでアクロバットである。かなり苦労してようやく上がる。それでも1泊5000円だから、あまり文句は言えない。そして服を着て10時ちょっと前にチェックアウトした。

外に出ると、昨日の雨が嘘のようにいい天気だった。気分も晴れやかに近くの喫茶店に入り、モーニングを食べる。紅茶でも良かったのだが、やっぱり朝はコーヒーが飲みたくなるので、コーヒーを飲んだ。おいしいコーヒーだった。この店はなかなか雰囲気も良くて、居心地が良い。その後、今回アキバを案内してもらうことになっていた、CHARONさんとの待ち合わせ場所に向かう。CHARONさんにはアキバの怪しい(?)店をいろいろ案内していただいた。その節は本当にありがとうございました。しかし、途中まであんなに晴れていたのに、午後になるとまた昨日と同じようなすごい雷と雨。特に雷はすぐ目の前に落ちたりして、かなり冷や冷やした。それでも何とか夜までには上がった。この日は結局HDDは買わなかったが、リブレットのポインタゴムとかスピーカのケーブル等を買うことができた。夜になり、筑波大学を見に来ていた後輩と落ち合い、CHARONさんと別れて、後輩を国立まで送ってから、しばらく暇をつぶして、東京駅へと向かった。

    東京23:43 - 名古屋06:05(東海道本線・快速ムーンライトながら 大垣行き クハ372-8)
去年は予約いっぱいで乗れずに涙をのんだ、快速ムーンライトながらにようやく乗ることができた。雨の影響がまだ残っていて、3分遅れで出発。特急の車両なので、とても乗り心地が良い。それでも私は自分の布団以外ではあんまり寝られないたちなので、熟睡はさすがにできなかった。それでも2時間弱はうとうとすることができたのでよしとしよう。そうこうしているうちに外も明るくなってきて、名古屋に到着。ながらは名古屋で後ろ3両が切り離されるので、私はもうここで降りることにした。ほんとはこのまま大垣まで行ってもいいのだが、そこでの乗り換えで混むのがわかっていたので、あえて別ルートで帰ることにした。

    名古屋06:24 - 亀山07:35(関西本線・普通亀山行き キハ75-4)
というわけで、ここからは南西方向、三重県津方面へとむかう。関西本線は電化されているのだが、なぜか私の乗ったのは2両編成の気動車だった。でも乗り心地はとっても良い。まだ車両は新しく、加速も結構速くて、ディーゼルの音さえしなければ、気動車には思えない。でも冷房が利きすぎで寒くてつらかった。車内では名古屋駅で買ったパンを食べ、後はうとうとしていた。

    亀山08:00 - 加茂09:16(関西本線・普通加茂行き キハ120-13)
ここは正真正銘の単線非電化区間である。実はこの線は春に一回乗ったことがあったので、なんだか懐かしかった。2両編成のワンマンカーの気動車で、前には運賃表があり、まるでバスのようだ。この車両も割と新しいので、乗り心地はそこそこである。とにかく眠かったので、うとうとしながら過ごす。途中で、乗客のおじさんが、降りるはずの駅を少し出発してからそれに気づき、あわてて降ろしてもらう一幕があったので、少し遅れが出たが、それでも9:20頃には加茂についた。

    加茂09:24 - 大阪10:23(関西本線→大阪環状線・大和路快速 天王寺行き クモハ221-28)
この旅もいよいよ終わりである。最後の締めくくりも221系になった。やっぱり乗り心地がいい…。乗って奈良を過ぎ、法隆寺あたりまでは何とか起きていたが、王寺を過ぎて快速運転になるあたりから熟睡モードに入り、次に気づいたら天王寺に着いていた。後は環状線を半周して、大阪に到着である。長かった…。そのまま阪急に乗り込み、家へと帰った。

その後、旅の疲れと雨に濡れたせいで風邪を引いてしまい、その日1日寝込んでしまいましたとさ。おわり。



99年07月01日(木)

うわ、更新約4ヶ月ぶり。サボりまくりですな。このままではいくら何でもやばいので、最近思ったこととか書きましょう。

先日の雨はすさまじかったですねぇ。豊中では夜中、1時間に64ミリもの雨が降ったようで、まさに「バケツをひっくり返した」という感じでした。一時道路は冠水してえらいことになってましたが、翌朝起きてみたら何ともなかったのでほっとしました。でも西日本の各地ではいろいろ被害も出ていたようなので、あんまり安心してもいられません。

6/26は高校時代の友人と一緒にT-SQUAREのライブに行って来ました。ああいうライブに行くのは実ははじめての経験だったので楽しみにしてました。行く前はどんなもんかなあ?と思ってたんですが、いざ始まってみるととても楽しめました。ちなみに私はベースが好きなので、ベースのソロプレイがよかった。

友人がこの間19インチのディスプレイを購入しました。なんかくやしい(笑)。今は自己紹介にも書いてあるように、17インチのダイヤモンドトロンなので、まあしばらくは買い換えないとは思うのですが、いつか21インチを買って見返してやるぅ(爆)。

今年のダージリンの作柄はかなり良いようで、私も春摘みを飲んでみましたが、香りはもちろん、結構味もしっかりしていておいしかったです。わたしは夏摘みの方が好きなのでそちらも今から楽しみです。ただ値段が高くなりそうで恐いな…。あとヌワラエリヤとディンブラも飲みましたが、しっかりした味でよかったです。すぐ無くなりそうだからまた購入しないと。

HDDが最近手狭です。4GBで十分だと買ったときは思ってたんですが、あればあるだけ使ってしまうのでだめですねぇ。ただ次買おうとしてる奴の値段がなかなか下がってくれないので、今様子見中です。でもまあ夏休み中には買うと思います。あとG400もおそらくそのころに購入していると思います。これでアップグレードはひとまずすみそうです。

あう・・・今回ほんとに脈絡無いことばっかり書いてるなあ。でも今後はもしかするとこういう路線で行くかも?大きな出来事があれば別ですがね。ではまた。



99年03月11日(木)

いかん、また更新が遅れてしまった・・・。今回は掲示板で書くと公言していた姫路へ行った時のことを書きたいと思います。

先月の22日、姫路まで行って来ました。理由は前からずっと行こうと思っていた、姫路にある紅茶屋さん「ペリーウインクル」で紅茶を頂くためです。できれば朝早めに行きたいなと思ったのですが、当日あんまり早く起きられなかったので朝9:59曽根発梅田行きの電車に乗り梅田着が10:15。そしてJRに乗り換え、10:30大阪発姫路行きの新快速に乗り込みました。モハ221-80の典型的な新快速車両でした。もうJR西日本に221系新快速が出来てかなりたつと思うのですが、今だにこの新快速は乗り心地がいいと感じます。姫路までは約1時間です。途中明石海峡大橋の下を通りましたが、天気が良かったので眺めは最高でした。11:31姫路着。ここで神姫バスに乗り換えです。しかしバスは路線が多く、どれに乗ったらいいのかでかなり迷いました。結局目当てのバスは15分ほど待たないと来ない事がわかったので、しばらく待ってようやく乗り込むことが出来ました。ほどなく到着。場所はすぐにわかりました。それから店でマスターにいろいろと話を聞かせてもらい、紅茶もかなりごちそうになりました。そして店を出たのが2:15頃。バスはすぐ来たので2:30には姫路に着きました。
さて、この日は5時から天王寺で家庭教師のバイトがあったので、もう帰らなくてはなりませんでした。帰りは前から乗ってみたかった、山陽電鉄-阪神電鉄間で走っている大阪-姫路直通特急に乗ることにしました。しかし2:25に出たところだったので(行きにバスを待っている間に発車時刻を調べていた)しばらく地下街をうろうろし、次の2:55のに乗りました。
こちらは新快速と違って人はまばらです。所要時間が1時間半ほどかかるからでしょうか。でも運賃はこちらの方が200円安い(1250円)です。窓際に座ってのんびりと車窓を眺めていましたが、こちらの方がローカルな感じでした。乗客も地元の人が多いようで、ビジネスマンばっかりの新快速とは対照的です。停車駅は結構あり、そのたびに向かいのホームで普通列車が待っているというのも、この特急が単に梅田駅-姫路駅を結んでいるのではない、ということを印象づけています。
それから再び明石海峡大橋をくぐり、神戸高速線の地下線へと入りました。その後地下線を抜け、阪神線に入りましたが、阪神もこのあたりの線は乗ったことがなかったのでなかなか楽しかったです。このあたりになるとさすがに乗客が増えます。姫路から乗っていたのはあの車両では私1人だけだったのではないでしょうか。4:25梅田着。それからすぐに地下鉄御堂筋線に乗り換えて天王寺に向かいました。

さて、姫路道中記はこんな感じでしょうか。次は3/9に決行した190円で近畿1周の事を書こうと思います。



99年02月15日(月)

ふう、ようやく金曜日でテストが終わりました。しんどかった・・・。中国語LLはきっとやばいでしょう。原価計算論Bもやばいかもしれない...。うーむ。

さて、では今回は金曜のテスト後の話でもしましょう。試験が終わって昼食を食べ終わったのが午後1時。その日は家庭教師が4時30分からだったのでまだまだ時間があった。それで前日からどうやって暇をつぶそうかと考えていたが、久しぶりに阪堺線にでも乗りに行こうという結論に達した。
阪堺線をご存じ無い方のために説明を加えておくと、堺市の浜寺駅前から天王寺・恵美須町を結ぶ大阪で唯一の路面電車のことである。結構歴史は古いと思うのだが、詳しいことはよくわからない。ただ、今でも乗客は結構あって、廃線寸前なんてことはない。その証拠に昼間でも8分ごとに電車が来る。
阪堺線の存在を知ったのは高校生の頃だが、その頃から乗りたい乗りたいと思いながら、わざわざ堺まで出向く用事もなく、乗る機会がないままでいた。それが大学に入り、大学前のバス停からバスに乗れば、阪堺線の駅のそばまで行けると言うことがわかり、大学に入ってから、早速乗りに行った。それから数えて今回が3回目になる。
金曜日は自転車でなかもず駅から大学まで来ていたので、昼食を食べ終わってから、まず駅近くの自転車置き場に自転車を止めて、なかもず駅前からバスに乗ることにした。バスはいいタイミングで来てくれたので、すぐに乗ることができた。ちなみにこのバスは仁徳陵のそばを通るので、途中小さな山のような古墳が見える。そこを過ぎ、約15分で宿院バス停に到着。ここから駅までは目と鼻の先だ。駅、といっても道路の真ん中に屋根付きの細長い待合所のような物が有るだけである。しばらくして電車が到着。今回乗ったのは昭和37年製の古い電車だった。ちなみに阪堺線では新しい車両ももちろん走っている。車両の新旧を問わず、全面に広告がなされているが・・・。
さて、出発。乗客は7,8人といったところか。お昼時なのでまずまずであろう。私は運転席のすぐ後ろの席に陣取るつもりだったが、先客のおばあさんがいたので、その後ろに座った。大小路、花田口と過ぎ妙国寺前に到着。ところでみなさんは最近流れている中古車のユーポスのCMをご存じだろうか?あの竹内力とその弟分らしき男が「高ぅ車売るなら、ユーポスや」「へい兄貴」とやっているCMである。あのCMで車売った帰りに乗っている電車が阪堺線で、「席ゆずらんかい!」と言って席を譲っているのがこの妙国寺前駅である。今度CMを見ることがあったら後ろの駅名を確認していただきたい。今回阪堺線に乗ったのはこれを確認することが目的の1つだったりしたので、じっくりと確認させてもらって、しばし感慨に耽った(変な奴やなあ、おれ・・・)。そしてその後、前のおばあさんが下りはったので、一番先頭に座り直してその運転風景も眺めさせてもらった。
路面電車の運転も普通の電車と変わらないようだ。しかし速度計が最大でも60km/hまでしかないのを見てもわかるようにとにかく遅い。スピード出しても40km/hが限界である。それもそのはずで、車が路面電車の軌道を横切ったりすることがままあるので、そうそうスピードが出せない。またほんとによく揺れる。きっと軌道が古いのだろう。それと道を走っているので、当然ながら信号待ちをしなければならない。この風景は何とも楽しいものがある。また自動車かバイクの免許を持ってはる人は知ってると思うが、赤信号に黄色の矢印がつくことがある。青の矢印は車両がその方向に進んでもいいと言うことだが、黄色の矢印は「路面電車のみ進める」表示である。こんな信号、なかなかお目にかかれない。
さて、こんな感じで路面電車ののんびりした楽しい小旅行は続く。途中、電車専用軌道に入ったりしながら、大阪市へと入る。ここでちょっとひやっとした体験があった。乗客のおじさんが走行中に回数券を求めて運転席へ行ったのだ。運転手も「今度からはちゃんと停車中にしてくださいね」と言っていたが、正直走行中にブレーキから手を離しているのは怖かった。
そんなこんなでようやく終点恵美須町に到着。所要時間は約30分だった。地下鉄で行くのの2倍近く時間がかかった計算になる。でもそんなのんびりとした時間を過ごすのはなかなか贅沢だと思う。これで290円だし、恵美須町で下りるとでんでんタウンが目と鼻の先なので、買い物をする事ができるので、なかなか便利である。

とにかくテストはようやく終わった。後は楽しい春休みである。とりあえず140円で近畿一周って奴をやってみようかなと計画中だ。またここに書くことになるかもしれない。乞うご期待。



99年01月27日(水)

前回の日記からいつの間にか10日が経過してしまいましたね。英語のテストの結果はあんまり聞かないでぇ(泣)。更新が遅れているのはテストが近くて・・・という理由もあるのですが、まだ全然勉強してないしなあ、いいわけにはならんかも(こらこら)。

火曜日、大学が早く終わったので帰りに行きつけの紅茶専門店「ムジカ」に行って来た。1/20にすぐ近くのビルに移転すると言うことは知っていたので、どんな風になったのかなあとわくわくしながら。ちなみに前まではビルの地下一階で、もう数十年前からやっているだけあって、一種独特のアンティークな雰囲気だった。この雰囲気がなくなってしまうのはちょっと寂しいなあと思いながら、移転先のビルのエレベーターに乗った。真新しいモダンな(死語?)ビルの3Fに移転していた。
ドアが開いてまず「へぇ」と声が漏れた。片側がガラス張りになってなかなか明るい店内だ。天井も高くて開放感がある。テーブル数も前の2倍近くになったのではないだろうか。入り口は少しわかりにくかったが、さっそく入り口をくぐり、まずはいつものようにショーケースをのぞいて、食べるケーキを選んでおくことにする。結構席は空いていたので壁際の方の席に腰を下ろした。注文はマランギ茶園産のアッサムとレアチーズケーキ。運ばれてくるまでしばし店内を眺める。いや、本当に変わったもんだ。しかしこの雰囲気は悪くはない。開放感が何とも言えない。前と変わらず、壁には紅茶の缶やポットが所狭しと並べてある。ふと気づいたのだが、中国ではリプトンは「立頓」と書くらしい。最初壁の上に置かれてある黄色い缶の字だけ見てなんだろう?とおもったら、下に英語で書いてあった。缶といっても一斗缶ほどの大きさの缶だった。業務用だろうか。
しばらくすると紅茶が運ばれてきた。かなり前からケーキは運ばれてきていたのだが、まだ手をつけていなかった。運ばれてきてから少し時間をおいて、ティーカップに紅色の液体を注ぐ。まずは香り。うむ、アッサムらしいこくのある香りがする。軽く一口、口に含んでみる。とてもこくのあるアッサムのようだ、ボディが強い。しばらく紅茶の味と香りを楽しむ。まさに至福のひとときだ。これで横に女の人でもいれば言うことないんだけどなあ・・・(てへっ)。
2杯目はミルクティーで頂くことにする。まあいつもそうなのだが。一口飲んでみる。やはりアッサムはミルクティーが向いている。とてもおいしい。こんなおいしいミルクティを飲んだのは久しぶりだ。ケーキもなかなかである。3杯目はかなり濃くなっているのでミルクをなみなみと注ぐ。これもなかなかである。やはり紅茶はいいもんだ。
しかし、気になったことがある。それは隣のテーブルの女の人がたばこを吸っていたことだ。ムジカは禁煙を奨励してはいるが、禁止してはいない。しかし紅茶は香りを楽しむ飲み物なので、横でたばこを吸われるとたまったもんではない。台無しである。まあこればっかりは運なので、運が悪かったと言うべきか。
さて、飲み終わって店を出ることにする。お勘定は997円なり。お金がかかるので、紅茶専門店にはそう頻繁には足を運べないのが辛い。でもたまに来るとやはりいいもんだ。出がけに販売所の方でヌワラエリヤを100g購入、600円。そして店を後にした。まだ店の整理が完全についていないようだったので、またテストが終わって休みに入ったら行ってみることにするつもりだ。

なんだか今回の日記は趣味に走りすぎのような気がしないでもない・・・。まあええか、徒然やし。ところで最近ゴスペラーズに完全にはまってしまいました。また今度ネタにしましょうかね。



99年01月17日(日)

月日のたつのは早いもので、もうあの阪神・淡路大震災から4年もたってしまった。あのときのことは一生忘れられないだろう。
あの日、高校1年だった私は翌日出す政治経済のレポートを、明け方4:30までかかって書いていた。そして地震は就寝直後の5:47にやってきたのだった。直後の停電。散乱した本。不通の電話。そしていつ明けるともしれない夜と寒さ。あのときは日が昇るまでの1時間が本当に長く感じられた。5時間にも6時間にも感じられた。
停電なのでポケットラジオを持ってきて耳を傾けた。どうやら震源は神戸らしい。神戸はここよりもひどいのか・・・神戸の惨状が何となく想像できた。そのあと、カメラを持ってきて部屋の様子を写した。何となく、記録を残しておかなければ、という気分にさせられたのだ。
7時前に電気が復旧し、すぐにズームイン朝の始まったことはよく覚えている。すると神戸上空の映像が映し出された。これはひどい。想像以上だった。
マンションの屋上から神戸方面を眺めようと思い、非常階段で屋上までのぼる。が、屋上に着いたとたん余震が来て、恐ろしくなってすぐに降りてきた(ちなみに私の家はマンションの1Fだった)。しかし、神戸方面でかすかに煙が立ち上っていたのは確認できた。家に戻ってくるとき気づいたのだが、マンションの外壁に亀裂が入っていた。大丈夫かなあ、と不安になる。水道は止まっていなかったので、ご飯を食べることができたのは幸運だった。神戸ではそのころ、大変な状況だったのだ。
ふと外を見ると、登校する中学生の姿が見えた。まさか学校あるんか?と少し不安になったが、うちの中がこの状況ではとても学校に行けそうになかった。その後さっきの中学生が家に帰っていく姿を見かけたのでほっとした。
電話はいっこうに通じる気配はない。テレビでは死者の数がまだ10人ぐらいしか報告されていなかったので、大丈夫だったのかな、とその時は思った(実際はとんでもなかったが)。
実は地震の2週間ほど前にパソコン(PC-9821Ce2S2 486SX-25)を買ったばかりだったので、電気が通じた直後あわてて電源を入れてハードディスクが壊れていないか、確認している。幸い壊れていなかったようで、Windows3.1(!)は無事起動してくれた。しかしその後聞いた話によると、KINOKO君ちのパソコンはディスプレイが落下して、前面のプラスチックが割れてしまったらしい。
やがて日が暮れ、夜になった。すると上の階に住んでいた知り合いがお風呂を貸してくれ、といってやってきた。その人の家は電気温水器で、しかも上の階なので地震の揺れで温水器のタンクが壊れて家中水浸しになってしまったらしい。うちは幸い、その数年前にガス湯沸かし器に変えていたので難を逃れた。私も風呂に入ったが、時々余震が来て、びくびくしながらの入浴だった。情報が欲しかったので、ラジオを風呂場のドアのすぐ外において聞きながら入った。
夜11時頃になってようやく電話が復旧し、祖父母と連絡が取れた。祖父母は尼崎に住んでいるのだが、揺れはひどかったが大丈夫だったらしい。ほっとした。ちなみにこの日、Rei君は豊中高校の名物音楽教師、小島紀子先生に呼び出されて、家の片づけを手伝わされたらしい。家はそのころ電話が不通だったので連絡が取れなかったそうだ。後でこの話を聞いたときは、正直ほっとした(笑)。

もうあれから4年もたつのである。あの後1ヶ月近く続いた余震の恐怖はやはりまだ残っている。揺れてないのに揺れているように感じることもよくある。敏感になってしまったのだろう。本当にもう2度と起きて欲しくないものである。

話はがらっと変わるが、成人式は無事終わった。なんだかイメージしていた成人式とはずいぶん違ったので、正直とまどった。会場の中ではみんな思い思いに旧交を温めていて、前でしゃべってる人の話なんか聞いちゃいねぇ。かくいう私も懐かしい顔にたくさん出会って、思い出話に花を咲かせていた。
それにしても、みんなに「おまえ全っ然変わってないな」と言われたのには、なんだか複雑な思いがした。そうかねぇ、俺変わってないかねぇ?うーん、母には幼稚園の頃、いや、赤ちゃんの頃から顔変わってないとまで言われるので、なんだかなぁ。きっと30なってもこんな顔なのだろう、あきらめてつきあって行くしかなさそうである。
そういえば、この指とまれで私のホームページを見つけて見てくれた人もいた。いやはや、誰に見られているのかわからないものである。
あと、いろんな人にメールアドレスやホームページのアドレス教えたので、誰か見てくれてる人もいるかな?ね?秀訪に一多ちゃんに小橋クン?

さて、実は火曜日、英語のテストがあって、本当は勉強をしないといけないのであるが、手が着けられずにいる。こんなことしてないで、早く勉強しなきゃならないのであるが、どうしてもやる気にならない。しかも今日はかてきょーに2軒も行ってるので、いい加減しんどい。まったく、どうしたものやら・・・。



99年01月13日(木)

うちの大学はこの土日、センター試験会場となるので、今日はその準備のため講義が昼までだった。こんなに日の高いうちに家に帰るのは久しぶりだ。
帰る前になかもず駅前の「わんだーらんど」で星の瞳のシルエット(柊あおい)の文庫版を購入。もうコミックスは持っているのだが、柊ファンとしては、買わないわけにいかないだろう。早速地下鉄の中で読み始める。文庫版だから傍目からは小説を読んでいるように見えるだろうか?(んなわけないやん!)。でもやっぱり柊あおいは良い。1度読んだ作品なのにこうも引き込まれるとは・・・。あと栞がかわいくてGood!
帰ってくるとやはり昼寝しかないでしょー、というわけで昼ごはんを食べて早速昼寝。社会人になったらできない贅沢だから、今のうちに堪能しておこう。
私は昔から寝るのが好きな子だったようだ。昔から母には「いつ見てもあんた寝てるなあ」といわれる。確かに寝るのは好きだ。冬の寒い夜、布団の中でぬくぬくするときが一番幸せで贅沢な時間だと思う。
晩ごはんを食べてから、しばしマインスイーパーに没頭。昔はトランプ系ゲーム(ソリティア・ハーツ・フリーセル)しかやらなかったのだが、最近ちょくちょくやるようになった。上級で200秒切るのが目標だが、まだ217秒ってところだ。まだまだ初心者である。
さて、そろそろ紅茶でも淹れてくるとしよう。毎晩10時30分頃に紅茶を淹れるのが、もうすっかり日課になってしまった。今日は何を飲もうかな?・・・・・・
今日はディンブラにすることにした。ミルクティーによく合う、濃い紅茶だ。うむ、やはりおいしい。もう残り少ないので、また買ってこなければ。
そういえば明日は成人式である。もう俺も二十歳になったのか・・・と思うと感慨深い物がある反面、子供の頃イメージしていた二十歳と比べると、我ながらまだ子供っぽいな、とも思えてしまう。まあ私は今時の大学生、ってイメージ(バイトやコンパに明け暮れて、あんまり大学に行かないという感じの)が嫌いなので、ちょっとずれているのかもしれない。
何はともあれ、成人式である。昔のクラスメートに会えるだろうか?あの当時気になってた娘は来るのだろうか?そう考えると、なんだか楽しくなってくる。特にクラス全員と仲が良かった中3時代の友人に会いたい。


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